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2006年05月16日 | 東京 ☀

どうぶつの森を考える

DSでついにオンライン化された「おいでよどうぶつの森」は
破竹の勢いで250万本を突破。
ついに映画化なんて話も出てきた。

そんなどうぶつの森について考える。

■何をするゲームなのか
細かい話は置いといて、まず大枠から。

どうぶつの森というゲームは何が目的か。
・特に目的は無い
・沢山ある目的からプレイヤーが自由に決める
・何をしても良い
・森でのんびりスローライフ!
などとよく言われる。
どれも正しいと思う。

が、このゲームは一言で言うと
自分の森を好きなようにカスタマイズするゲームだ。

結局このゲームでできる事のほぼ全ては
森(と自分のキャラクター)のカスタマイズの一部だ。

村メロ作ったり
木や花を植えたり
魚や虫を獲って博物館に寄贈したり
部屋を好きなようにレイアウトしたり
曲を集めたり
掲示板に落書きしたり
デザインをしたり
髪型を変えたり。。。

どうぶつ達にあだ名で呼ばれたり
好きな口癖や挨拶を流行らせたり
手紙を書いたり、、
という事もそうだ。

全部森及び自キャラのカスタマイズ。
普通に遊んでいれば自然に独自の世界が出来上がる。

ゲームについて考える」で書いた、
「プレイヤーの独自性」を感じさせる事に特化した作りだ。

そしてその自由度が非常に高いのもポイントだ。
それは小学生の女の子達が楽しむ反面、
せっせとこんな凄いものを作ってる大人もいる事にも現れている。

■独自の世界を作るどうなるか
プレイヤーが意識しようがしまいが、
プレイしていればプレイヤーの色が
強く反映された世界が出来上がる。

すると多くの人は誰かに見せたくなるんじゃないだろうか?
もしくは他の人の作った世界も見てみたくなる。
なるはず。
根拠ないけど。

実際このゲームは他の人と繋がる事で面白さが数倍膨れ上がる。
もっと言うと、繋がる事を想定した時点でぐっと面白みが増す。
「誰かに見せたり見たりする」という前提の有無が
面白さにかなり大きく影響する。

これは何かをカスタマイズして対戦するタイプのゲームを
イメージするとわかりやすいと思う。
カードヒーローとか。
ガチャフォースとか。

例がマイナー過ぎか。
ウイニングイレブンでもいいや。
いずれ誰かと対戦するという前提の有無で
モチベーションはかなり変わる。

とにかくどうぶつの森の重要な要素は「繋がる」事にある。

もともと「ネットワーク」「コミュニケーション」
といった部分に着目して作られたゲームなのだから当然だけど。

■繋がる
森シリーズは初代である64版から
基本的なシステムはずっと同じなのだが、
DS版で何よりも大きく変わったのは
携帯機になった事とWiFiに対応した事だ。

これはどちらも繋がり易さを大幅にUPさせた。

DSを手軽に持ち寄る。
遠くにいてもWiFiで気軽に通信。

繋がる事で真価を発揮するゲームが
今までの繋がり難い作りで数十万本売れていた。
それが劇的に繋がり易くなったのだから
勢いが爆発するのは当たり前だ。

■そこにある世界
このゲームが秀逸なのは
上記の「森のカスタマイズ」をあまり感じさせない点。

ゲームは車での何気ない会話から始まり、
森ではバイトを通じてやれる事の基本を学ぶ。
「自分だけの森を作るゲーム」という意識を持たせずに
ただそこにある世界に自然に入り込ませる作りだ。

この「そこにもう一つの世界がある」という感覚を
いかに上手く作り上げているか。
これこそがこのソフトの凄さだと思う。

これは任天堂の得意分野でもある。
脳トレでは毎度教授が迎えてくれて
カレンダーにハンコを押す。
自分で。(←これ重要)
nintendogsではタイトル画面やデータロード、
犬と出会うまでのムービーなどは無く
電源を入れればそこに自分の犬がいる。
取捨選択が非常に上手い。
余計なものはバッサリ切る。

森では名前の登録なんかも
車での会話の中で自然に行われる。

話を戻す。
この「もう一つの世界」の感覚は
導入等の細かい部分の積み重ねもあるが、
最も大きいのは「現実と同じ時間が流れる」事にある。

ゲームをしていない間も森の時間は現実と同じように流れ、
森は少しづつ変化しているのだ。

実はこれは、現実とは違うもう一つの世界を
実感しやすくするという以外に
もう一つの重要なポイントがある。

その自分だけの森は、他の人達のそれぞれの森とも
どこかで繋がっているような気にさせてくれるという点だ。

時間は現実世界も、自分の森も、
そして他人の森も同じように流れているのだ。

前述のように、繋がる事で真価を発揮するこのゲーム。
この、「繋がっている感覚」が
漠然とではあるが常にあるというのは非常に大きい。

■自分中心の森
プレイしていない時間も森は変化する。
森の中の住人達もそれぞれの時間を過ごす。

しかし、それらは自分が作り上げた世界を壊さない。

一見、どうぶつ達と一緒に暮らす、
みんなの森という印象があるが、
彼らは勝手に曲を変えたり木を切ったり
博物館に寄贈したりはしない。

せいぜい花を植えたり
掲示板に書き込んだり
雑草が生えたり
ゴ○○○が発生したりする程度だ。

森のカスタマイズをするゲームなのだから
作り上げたものを壊してはいけないのだ。
勝手に起こる変化は、
プレイヤーに継続してプレイする気を起こさせる為のものばかり。

WiFiで知り合いしか通信できない仕様なのも
勝手に世界を壊されないようにという配慮だ。

■同じ世界に暮らすという発明
64版からある仕様なのだが、
同じ森に数人で暮らすことができる。

これは大発明だと思っている。
普通にあったものなのかもしれないけど。

身近な人と同じ森に暮らす事によって、
ネットゲームなんかで言うような
「現実とは別のもう一つの世界」ではなく
「現実との区別が曖昧な世界」が出来上がる。

現実の中でゲーム中の話をしたり。(ゲーム中の話としてでなく)
ゲーム中で現実の話をしたり。(手紙なんかで)

Mixiに近いのかなとも思うけど。
こういうゲームはあまり無いんじゃないかと思う。

■まとめ
どうぶつの森は独自の世界を作り上げて
それを見せたり見せられたりいじったりするゲームで、
その世界に没入する為の仕組みや長く遊ぶ為の仕組みが
あちこちに巧妙に組み込まれている。

んーまとめるとこれだけの話。

DS版の鬼売れを見て
何か今までに無い不思議なソフトのように言われているけど
珍しいっぽいのは現実と同じ時間とか森に同居とかくらいで
あとはとにかく丁寧な作りという点に尽きるんだと思う。

あまり具体的なトコには触れずに
大まかに何が行われてるのかについて書いてみたんだけど長いw
誰か読むのかなこれ。

長い間ああでもないこうでもないと修正を重ねた割に
手応えが無いなぁ。。。
この記事へのコメント
>すると多くの人は誰かに見せたくなるんじゃないだろうか?
これありますよね。
>もしくは他の人の作った世界も見てみたくなる。
自己中なんで、こっちはないですがw

>これは何かをカスタマイズして対戦するタイプのゲームを
>イメージするとわかりやすいと思う。
これはちょっと、流れとして違うような気はするんですけど…

言いたい事はなんとなくわかります。
ただ、『対戦ゲーム』を例に出すのはマズイかと。
せっかくの考察がわき道にそれてしまうような気がします。
ここは無理してでも『対戦』ではない
『「誰かに見せたり見たりする」という前提』の例を出すと
よりスジが通るんじゃないかと勝手に思ったんですけど
どうでしょうか?

>しかし、それらは自分が作り上げた世界を壊さない。
やっぱ、これに尽きる感じはします。

フジテレビの「グータン」なんか見てると
自分が作り上げた世界を壊さないというか
アホみたいな納得と共感でできてますけど
おもしろいですもんね。

「どうぶつの森」はやった事ないけどそんな感じじゃないですか?

>誰か読むのかなこれ。
以上、読んだ感想でしたw
Posted by ローゼンカバリー at 2006年05月16日 23:12
>ただ、『対戦ゲーム』を例に出すのはマズイかと。
なるほど。
僕はカスタマイズして対戦するものはお披露目の意味合いも大きいと思っているのでわかりやすいだろうと思ったのですが、確かに対戦型しか例に挙げないのはマズイのかもしれないですね。
WEなんかもどんなメンバーでどんな戦術で・・ってのの見せ合い的な要素があるじゃないですか。
サカつくとか。サカつく知らないですけどw

対戦じゃないタイプは、、なんだろう?
マリオアーティスト、、マイナーですね。
んー。あ!
nintendogsなんかはそうですね。
自分であれこれしつけして見せ合う。
あれも好きな言葉で芸を教えられるとかってのがポイントです。

>以上、読んだ感想でしたw
ありがとうございましたw
書いた甲斐がありましたw
いい指摘もいただいて。

最初はいかに繋がってる感を上手く演出してるかとか具体例をガーっと書いてたりしたんですけど
収集がつかないので実はこれでも大幅にカットしたんですw
Posted by ボボコフ at 2006年05月17日 10:14
>確かに対戦型しか例に挙げないのはマズイのかもしれないですね。
ちょっと伝わってなかったかもしれないので補足

対戦型の見せ合いって
「名刺ジャンケン」とか「病気の自慢合戦」のような
競争型のお披露目じゃないかと…

ただ、やった事ないですが「どうぶつの森」はそうじゃなくて
先に例を挙げた「グータン」のとか
クリスマス近くになると始まる「家のライトアップ行為」とか
並行型のお披露目だと思うんです。

なので、せっかく『作り上げた世界を壊さない。』を
話の軸に持ってこれているのに
その前段階で「競争型」のような
相手より上を行く破壊的な表現を使うのはもったいないです。

文章を1から10まで作り上げるのは大変だと思うんです。
(だから今回のボボコフさんにはホントに頭が下がります)
ただ、全創作は引用のようなパクリwが無いので
自分の道筋を好きなように構築できるのが最大のメリットだと思ってます。
なので、「あそこだけはもったいないなぁ」と思っちゃったんです。

ジジくさい事をつらつらと書いちゃいましたが、最後に…
グッジョブ!
Posted by ローゼンカバリー at 2006年05月17日 11:20
ニンカフェで
>> チームor国づくりを楽しんでいる時に
>> 結果はあんまりいらないなぁと思ったってのがあるんです。
>「どうぶつの森」もこれに近いと思うんですがどうでしょう?
っていうローゼンカバリーさんの発言があって
その通りだと思ったのですが、
僕がここで言いたかったのもそれです。

対戦型といってもカスタマイズするタイプの場合、
結果は二の次だと捉えていたので。
WEやサカつく等において
「どんなチームを作って来たのか」
が最重要であってそのお披露目が一番楽しいのであって
勝敗はその次にあるんじゃないかと思っていて。

例えばお互い全く同じチームを作ってきてたら面白くないじゃないですか。
さらに言えば誰もがベストと思うチームが同じような形になっちゃうゲームってダメですよね?

となるとやはり対戦型とはいえ一番面白いのは
>競争型のお披露目
じゃなくて
>並行型のお披露目
の部分だと捉えてるんですよ。
それでこういう例を挙げたんです。

が、それをちゃんと説明してるわけじゃないですし
確かに全体を見るとわかりづらくしちゃってますね。
ローゼンカバリーさんの指摘はもっともだと思います。
目からウロコですw

nintendogs辺りを挙げれば良かったですかね。
あとはマルチプレイがありませんが
巨人のドシンとかシーマンとかも
見せて楽しいタイプですよね。

本文でも書きましたが
重要なのは見せる事を想定した時点で楽しさが増す事です。
なので最初から最後まで一人で遊ぶという前提があると
この手のソフトはあまり楽しめないんじゃないかと。

考えてみれば僕はガチャフォースも、
誰かと対戦する事を予め想定して
普通は使え無そうなボーグをいかに使うか、
斬新な戦術はないかとか
そういう発想で遊んでたから楽しかったんだと思います。

>文章を1から10まで作り上げるのは大変だと思うんです。
思っていた以上に大変でした。
書きたいことはある程度固まってるのに
一つの文章として書ききれなくて。

本当はもう少し簡潔にまとめて
色々とツッコミを入れてもらう中で
より形になればいいなぁと思ってるんですけどね。
それもブログの魅力ですし。

なので色々と言っていただけるのはホントありがたいです。
ありがとうございます。
Posted by ボボコフ at 2006年05月17日 12:06
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