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2006年04月03日 | 東京 ☀

ゲームの評価の外部性

またゲームについて考えるシリーズ。

■ゲーム性について
時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト:六百デザインの「嘘六百」
実はTVゲームというのは、遊んでいる人間を『褒める装置』なんです。問題を出して、成功したら褒める。失敗したらペナルティを与える。我々はこれを『ゲーム性』と呼んでいますが、これがまさに、TVゲームという装置の本質なんです。
実は意外と軽視されがちだった視点なんじゃないかと思う。

理想のゲーム:ゲーム脳人
これだけ技術が進歩したのだから
同じ道をたどりながらも
下手な人にはやさしめに、上手な人にはきびしめに
いわゆる、終わってみればどちらの人も同じような感想を持つような
ゲームはできないんだろうか?
これは最初のエントリと関係の非常に深い話で、
ゲームの歴史がもっとゲーム性に主眼を置かれたものであれば
この辺りにはもっと広がりが見られても良かったんじゃないかと思っている。


■ゲームの評価の外部性
ゲーム業界に広がる新潮流:発熱地帯
最近のゲームは、プレイヤーへのごほうびと評価という部分のコストが上がりすぎました。ストーリーと付随するムービー、アイテムやステージや隠しキャラなどのやりこみ要素。ある時点において、こうしたボリューム感は市場で成功するために必要でした。しかし今や、ボリューム感は疲れたゲーマー、時間の無いゲーマーにとって、マイナスに働くことさえあります。できる限りゲームの内部でごほうびと評価を与えようという路線は行き詰まってきました。
そもそも「プレイヤーへのご褒美・評価(褒めるしくみ)をゲーム性の基本部分以外の要素(ムービー・ストーリー等)によって与える手法」が主流になりすぎていた事が一番の問題点だと思うのだけど、とにかくその手法にも限界が見えてきた。

ではどうするか、となった時に出てくるのが
ゲーム評価の外部性という要素。
ゲームの評価の外部性という点では、「実用性」と「コミュニケーション」の2つが大きな保証ですね。

実用性とコミュニケーション。
コミュニケーションも実用性の内に入る要素だと思う(そこから有意義なコミュニケーションが生まれるならば実用的と言える)ので、広い意味で考えれば外部性=実用と言えるかもしれないけど。

単純に言ってしまえば、ファミコンブームの頃ならゲームが上手くなることに価値を見出した人が大勢いたけど、今では一部の人しか価値を感じないから、ライトユーザーを取り込むなら、プレイの評価の外部化が重要になります。
ライトユーザーを取り込むならプレイの評価の外部化が重要、
というのはその通りだと思うのだけど、
実はコアゲーマーにとっても重要なんじゃないかと思う。

ゲームの内容について、結果について、
あれこれ話をする相手なり場所の存在が無ければ
ゲームに対するモチベーションが下がるって人は
かなり多いと思っていて。
ゲーマーと言われる人の中でも、
本当に一人で完結する形で
ゲームを楽しくプレイし続けられる人って
かなり限られているんじゃないかという気が。

一応根拠になりそうなのは
多くのソフトが発売と同時にに売り上げのピークを迎え
後は一気に下降する、という売れ方とか。

多くの人と同時にプレイした方が、
コミュニケーションが生まれやすいから。

そういう意味ではゲーマーの方が
ライトユーザーよりもより恵まれた(?)環境にある可能性が
高かったりするんじゃないかな。

とにかくゲームとコミュニケーションは
元から強く結びついていたんだと思う。

■コミュニケーションデザイン
より広いユーザー層に訴える為には
その実用やコミュニケーションといったものを
もっと意識する必要性があるのは間違い無さそう。

ゲームデザインのこれから(12) コミュニケーションデザイン:ゲームのマボロシ
より幅広い人に楽しんでもらうためのコミュニケーションゲームにおいては、従来のゲームデザイン、つまりゲームルールのデザインとはまた違う、別のゲームデザインが求められているということが分かります。狭義のゲームデザインと分けるならば、「コミュニケーションエンターテイメントをデザインする」ということになります。可能な限り、人が人を褒めるようなコミュニケーションの場を作っていく、それがゲームデザイナーの目標になります。
実際にはここでいわれている狭義のゲームデザインと明確に線引きをする必要はないと思うけれど、コミュニケーションを意識してデザインするという視点は重要になっていきそう。

さらに引用記事中にはその具体的な方法論として
・メイクアップ
・ナンバー1でなくてオンリー1
という要素が挙げられている。
このメイクアップに注目。

「メイクアップ」は、キャラクターや自分の部屋などの外観を、自分の好みにカスタマイズして、それを人に見てもらって褒めてもらうという現象を起こす戦略です。どうぶつの森やアバターサービスなどの、外観のカスタマイズ要素がこれに当たります。
ゲームについて考えるで書いた
「プレイヤーの独自性」の話に繋がるんだけど、
ゲームというのは実は最初からこの要素を持っている。
プレイヤー独自の結果を得られる(と感じる)からゲームは面白いんだし。

あれれさんのエントリは
その部分を意識してデザインする必要性の話で、
その通りだよなぁと思う。

■まとめ
最近ゲーム考察系のブログなどでよく見られたゲームの評価の外部性に関する様々な考察は、結局本来ゲームが持っていたけれど意外と重視されない傾向があった重要な要素(ゲーム性、プレイヤーの独自性、実用・コミュニケーション等)を再認識、という話なんじゃないかと思う。
昔から一部で言われていた、ゲーム性が大事とか基本部が大事とかバランスが大事とかそういう話と世の中の流れが近づいてきたんじゃないかとも。

これは非常に良い傾向だと思っていて。

あれれさんが書かれている、
日本発のゲームデザインの波として、世界に発信されることになるのではないか・・・、と個人的には思っています。
この意見に僕も一票です。


この記事へのコメント
数年前のデータなので今は大きく違っている可能性はありますが
CESAが一般人に「ゲームに対するイメージ」というアンケートを取った時
「人とコミュニケーションがとれなくなる」と
「家族、友人とコミュニケーションがとれる」というのが
共に20%でした。

年齢別で分けると
「とれる」の方が低い年齢層に多く見られるので
高い年齢層になると
「とれない」もしくは「とらなく」なっている人が増えているのではないでしょうか?

また「ゲームに求めるメンタル面」では
「コミュニケーション」が30%以下です。
「達成感・充実感」が75%以上ですから、かなり低いです。

さらに得られる感情でも
「コミュニケショーン」は7%とけして高くはありません。
ちなみに高いのは携帯メール(56%以上)、カラオケ(37%)となってます。

これらを踏まえて、考えられる2つのことは…
一般人(ライトユーザー)にとって
ゲームによる「コミュニケーション」は非常にニッチで
需要が限定されてしまうのか?
フロンティアでこれから開拓できる可能性が大いにあるのか?

ゲーム業界としては確実に後者へと進んでいるので
後者である事を願いたいです。
Posted by ローゼンカバリー at 2006年04月04日 11:33
その数字というのはほとんど参考にならないと思います。

まず、今までもゲームによるコミュニケーションはあまり意識される事が無くても確実に存在していたという事。
目的になるものでもありませんしそれ程注目している人はいなかったと思います。
でもそのコミュニケーションを全て排除すると結構寂しいものを感じる人が多いんじゃないかと。

(そういう意味ではローゼンカバリーさんはかなり特殊だと思いますよw
新旧問わずマイナーなタイトルを黙々とこなしていくようなスタイル。)

さらに、ここで言っている外部性というのはそこからさらに踏み込んだものです。
既存の「ゲームによるコミュニケーション」の枠組みの外の話というか。
Posted by ボボコフ at 2006年04月04日 12:46
>その数字というのはほとんど参考にならないと思います。
この数字を排除してしまうと
「一応根拠になりそうなのは〜」以下も
同様に排除されてしまうような気がします。

データは絶対では無いのでそれでも良いのですが
そうなると前提も崩壊してしまうと思うんですけど大丈夫でしょうか?

それはそれとして、ここからは超個人的意見です。
私も学生時代はゲームがコミュニケーションツールでした。
ただ、社会人になると公私ともに
一歩も二歩も間を置いたコミュニケーションが多くなり
コミュニケーションに疲れて
ゲームをアンチコミュニケーションツールとして使うようになりました。
(ゲームに限らず、一人用の娯楽にアンチを選ぶ事が多くなりました。)

ボボコフさんも経験あるんじゃないかと思いますが
子供の頃は「みんなが○○から」という理由で
ゲームをしたり雑誌を読んだり
とにかく娯楽はそうゆう動機付けが多いと思いますが
大人になると、音楽を聴くにしても本の読むにしても
その部分がどんどん薄くなってませんか?

別にこれは「どうぶつの森」を批判しているわけではなくて
距離感の問題だと思うんです。
多分「どうぶつの森」の距離感が良い感じだったんでしょう。

もしコミュニケーションが重要だとしたら
ネットも掲示板やチャットの方向で進化したと思うんですが
実際は一方向の日記と多方向の掲示板の間を取ったブログが普及しました。
掲示板で盛り上がりすぎたり、ブログでもコメントがありすぎたりしたら
ちょっとしんどくないですか?
(しんどいコメントでごめんなさい。。。)

だから私はデータやら個人的な考えやらをまとめて考えると
うまいことコミュニケーションをコントロールできるようなゲームが出れば
次世代機でネットゲーが普及するんじゃないかと思ってます。

>(そういう意味ではローゼンカバリーさんはかなり特殊だと思いますよw
>新旧問わずマイナーなタイトルを黙々とこなしていくようなスタイル。)
言い得て妙過ぎw
Posted by ローゼンカバリー at 2006年04月04日 17:10
>データは絶対では無いのでそれでも良いのですが
>そうなると前提も崩壊してしまうと思うんですけど大丈夫でしょうか?

このデータは数年前の、既存の「ゲームによるコミュニケーション」に関するもので、ここで外部性としているのはそのもっと外の話だと思ったのであまり関係ないのかなと思ったんです。
でも、それ以前に僕が根拠のようなものとして挙げたものも大した根拠になってないんですよねw
何も示さないのもどうかと思って一応挙げたんですけど。
ただ関連はあると思います。

>大人になると、音楽を聴くにしても本の読むにしても
>その部分がどんどん薄くなってませんか?
全体で見ればそうなんですが、僕の場合一応ゲーマー寄りの人間なのでゲームの話をする友人なり兄弟なりネット環境は常にあります。
僕はいい年になっても相変わらず人とゲームするのが1番楽しいというタイプなんですよ。
逆に普通の人はそんな環境は無いでしょうし普通のゲームからコミュニケーションなんてそうそう生まれないでしょうね。

>もしコミュニケーションが重要だとしたら
「重要」までは思ってないんですよ。
ただ意識されてこなかった、かつ可能性を秘めた部分だと思うのでここに着目するのは面白いなぁと。

>(しんどいコメントでごめんなさい。。。)
いやいや有り難いですよw
こういう考察系?な感じのエントリは自分の中でもハッキリ見えてない部分とかがあって、誰かが反応してくれたりするうちにまた何か見えたりするかも、、と思って書いてるので。
確かにコメント多すぎたらしんどいと思うんですが僕はこのブログに書き込まれてる程度ならまだ大丈夫ですw
掲示板はその点首を突っ込む度合いを調節しやすいのがいいですね。
自分のブログはやっぱりある程度責任持って、、ってことになりますから。
その場合はエントリの内容とか数で調節するしかないですね。

>うまいことコミュニケーションをコントロールできるようなゲームが出れば
今の所成功例としてどうぶつの森やnintendogs、脳トレなんかは当てはまると思うんですよ。
他にもあるんでしょうけど、これらはその点をかなり意識的にやっているように見えて。
で、大成功してるわけですから今後嫌でもそういうタイトルが増えていくと思います。
安易にやれば当然失敗するでしょうけど。
ネットゲームもいよいよ広がるような気がします。

「距離感」て言葉が出てますけど、結局また「大事なのはバランス」って事ですねw
ブログが流行ったのもその距離感・バランスが良いんじゃないですかね。
Posted by ボボコフ at 2006年04月04日 18:13
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